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ブログ引越し [2010年01月27日(水)]

ドリコムブログが3月とかに閉鎖するようです。
いままでの記事を引越しました。今後はこっちに書きます!

http://blog.livedoor.jp/sivanataraja/

はたしてだれが見ているのでしょうか。
告知する必要はあるのでしょうか。
しかしアクセスはあるのでだれかには見ていただいているようです。
この微妙な感じが面白いです。


ブレイクスルー [2009年12月17日(木)]

営業としてのブレイクスルーが最近多い。

◆相手の立場になって考えること。
友達の家探しにつきあって、自分が不動産会社に営業受けてみて分かったことがいっぱいある。たとえば、「また考えます」って言ってるのにやたら「今日決めましょう」っていう自分の都合しか考えない営業とか、てきぱきしてなくて時間ばっかり食う営業とか、ほんとになえるわー。一方でこっちの勘違いに対してやんわりと否定されることに対しては、逆に悪くない印象を持った。こちらに媚びるのではなく、毅然とした態度は重要だと思った。

◆アイスブレイクの大事さとやり方。
これも相手の立場に立って考えるに付随しているんだけど、商談の最初は相手もやたら緊張していることも多い。そこでいきなり商品の話をしても、まったく響かないし、そもそも理解すらされない。まず相手の心をオープンにし、聞く姿勢をつくるのが何より重要。そしてそのやり方は、なんてことない、自分の普段の自然体なスタンスで会話を楽しめばいい。無理に面白いこと言おうとか、そういうことは考える必要がない。相手が柔らかい姿勢になればいい。

◆いかに伝えるかでなく、いかに伝わるか
いくら自分が頑張って伝えたとしても、相手にとっては伝わったことがすべてである。その商談に価値があったかどうかは、相手が決める。商品に価値があるかどうかは、相手が決める。自分はきちんと伝えました、でも相手が分かってくれませんでした、というのは、かなり情けない言い訳である。伝わり方への配慮は、思った以上に重要である。ゆっくりしゃべるとか、大事なことは2回言うとか、その辺の気づく技術は培っておくべき。

◆自分のスタイルをもつこと。
ここは大きな気づきである。人によってキャラも違えば、営業スタイルも違う。これは当たり前のことのようで、やっと最近実感できた。それだけ余裕が生まれてきたのかもしれない。自分はものを売るときにがんがん押すタイプではなく、相手に判断を委ねるタイプである。具体的には、クロージングのときに「やらない理由ないですよ!やりましょうよ!」より「私の役割は、お客様の判断材料をそろえることです。メリットがあると思ったらぜひやってください。ないと思ったらやめていただいて結構です」である。

◆上の人に常にアドバイスを仰ぐ。
自分は今まで先輩と密にコミュニケーションを持つことが少なかった。どちらかというとタメか後輩と仲がいい場合が多い。でも先輩と仲良くして、常にアドバイスをいただくというのは、かなり重要なことである。自分が岐路に立たされたとき、経験に裏打ちされた一言は説得力をもって自分に響く。このリソースを生かさない手はないので、うまくやっていくことは大事。

◆余裕を持つこと。
行動量で価値を担保しようとする思考は危うい。なぜならひとつひとつの商談、お客さんを大事にしなくなるから。自分もすりへるから。結果的に悪循環に陥る。ゆったりと昼寝でもしながら、十分にお客さんのことを考える時間を持って、商談に臨むのが、結果的に一番受注率が高い。

◆折れないこと。
自分は相手の考えを尊重しようとするあまり、自分の考えをすぐ棄却してしまいがちだけども、それはよくない。自分にとってはもちろん、相手にとってもである。自信を持つという外形的に過ぎないと思われがちな姿勢は、実はトークが相手に響く率をかなり上げる。自信のない営業から誰もものを買いたくないだろう。そんなん不安だし。

こんなに気づきを振り返れるのも余裕を持っているからだと思います。
そしてこの暗黙知の積み重ねが自分を成長させると思います。
それは楽しいですね。


人として [2009年12月14日(月)]

お世話になった人を裏切ってまで、自分のやりたいことを追うべきだろうか?
それは、人として終わっているのだろうか?

人としての仁義とか、そういうものを守りながら生きていくのはかっこいいとは思う。
そういう人になりたいとも思う。

よく生きるというのは目的ですらあると思う。
それを踏みにじってまで自分の我を貫き通すべきなのか。

人生の目的は何か?
人々が孤独を感じることなく安心して暮らせる社会の仕組みをつくることである。

その目的達成のためには、ビジネススキルがいる。
マーケティングであったり財務であったり会計であったり、専門性の高いスキルが必要になる。

今の環境でそのスキルを獲得できるか?
難しいと思う。
一通り会社側が提供する経営の勉強会とか、新規事業提案制度とか、参加してみたけれども、思ったのは、自分のスキルが圧倒的に欠如しているということだった。
学ぶというより、実践する場だと思った。
じゃあどこで学ぶのか?学ぶというのは実務としてであって、たとえば本を読むとか、そういうことで学べるわけではない。

そう考えると今の環境では実務として学ぶのは難しい。
では実務として学べる環境に行くことが必要になるだろう。

今回の決断は、学べる環境に行くということであるから、そういう意味では決して間違ってはいない。

ではなぜ今なのか?2年後なら会社側も歓迎する形で見送ってくれるのに。

思うに、2年間の差は大きい。
2年間もの間、学ぶ環境を放棄するということは、それだけ自分の夢をリスクにさらすということである。
人に納得してもらうために2年間を費やすのはリスクが高すぎる。

さらにいえば、2年後に会社がつぶれたらどうするか?
営業のスキル以外に市場価値のあるスキルは得られるか?
せいぜい不動産とネットの知識といったところだろう。
そうなると人生の目的を追いかけるどころではなく、食いっぱぐれる危険性すらある。

もちろん次の会社でも同じような破綻リスクは抱えている。
だが経営者の目の前でスキルを学ぶ環境があることは明確である。

2年後どちらの会社もつぶれたとして、
今のままの場合と、学ぶ機会を享受した場合では、
明らかに後者の方が自分で社会を渡っていける状況を作り出せる可能性がある。

一刻も早く、ビジネススキルを身につけて、
自分で自分のキャリアをコントロールできる状況に身をおくことが、
もっとも安全な道である。

それはもちろん自分のためだし、
家族のためでもある。

自分の人生には、責任を持たねばならない。
だから今行動する。歓迎されなくても。

じゃあ最初から入るな、という話にもなると思う。
だがそれは、すべての情報が開示された状態で入ったわけではないから、
当然のミスマッチだと思う。

それが社会ていうものなのかもしれないが、
その仕組みを甘受していい子にがんばることは自分には耐えられない。

だからお世話になった人の気持ちとか、そういうものも鑑みて、納得されないことをわかった上で、その罵倒も叱責も当然のものとして受け入れて、
それでも自分は次のステップを選ぶ。

今回の決断に際してやたらやりきった感があった。
相手の言うことを批判的に受け止めるとか、そういうのも学んだし、
決断を曲げないという、そういう自分もほめたくもある。
一歩前に進んだ気がする。人としても。


不器用さ [2009年12月06日(日)]

自分は器用な人間ではない。

器用とは何か。ここであえてそれを生きる上で葛藤・悩みという、主体から主体的でない形ででてくる精神活動に対する対処の上手さという形であらわれる概念と定義してみる。

そこでいうと自分はとても不器用だと思う。

ただ不器用は器用に対して劣後に位置する概念ではない。
それは種類の違いを表しているに過ぎない。

葛藤・悩みから生れる原動力はときにすさまじいものがある。
むしろ自分においてはそういうものがないときはとても自分がつまらない人間のように思えることがある。

つまらないというのは語弊がありそうだが、生への意思が不足しているような感覚に陥る。

だから葛藤・悩みを抱えることを恐れることはない。
むしろそこから生まれる原動力を生かす方向に持っていけばいい。
自分はとても性能のいい発電機を持っているようなものなのだから。

人は人とのコミュニケーションにおいて葛藤・悩みを抱えることがほとんどだと思う。
それは自分にとっても変わらない。
だが致命的なものとして捉える必要はない。
大事なのは姿勢だからである。

どうしても外形的なきれいさが必要なら、それは技術として習得しておき、その場においてアウトプットすればいいだけのことである。
技術としてのそれはすでに習得していると思う。

誠実な姿勢を保ち、葛藤・悩みから生まれる原動力を自分の成し遂げたいことのために振り向ける。
やるべきことはとてもシンプルである。




姿勢 [2009年12月04日(金)]

日々いろんな人から指摘を受ける。
ときに、というか大体において
なんでそこまで言われなきゃならないんだとか、
いやいや自分だってできてませんよねとか、
そういう負の感情が訪れる。

そんな感情は人間だからあるに決まっている。
そんな完璧な人はいない。

それでも、自分の苦手とする人が持っている部分というのは、
自分も持っている部分であるというのは、確かにそうだと思う。

自分を知りたければ、自分の一番仲いい人と仲悪い人を見る。
その人たちが持っている部分がそれぞれ自分が持っている部分だ、
ということを以前教えてもらったけども、その通りだと思う。

人は自分を映す鏡である。
自分の姿勢が至らないだけである。

自分に大事なことを教えてくださっている。
自分が変わるきっかけを与えてくださっている。

そこに感謝しよう。
まだまだいくらでも自分は変わることができる。


夢か責任か [2009年12月02日(水)]

会社の責任と自分の夢のどちらを追うのか?
当然自分の夢に思える。

自分の人生は会社の責任を果たすためにあるのではない。
ただもちろん仁義を失うということは認識する必要が重々ある。

しかし、自分の夢を果たせなくなるリスクが高くなるとしたら?
仁義を失うとか、そんなことを言っている場合ではない。

今すぐやるしかない。

同時に、今すぐやめても、来年3月にやめても、
どうせ仁義を失うというのであれば、今すぐやめるほうがいい。
それだけ学べる時間が増えるからだ。

しかしさすがにこの時期にやめるというのは、多大な迷惑がかかる。
それは、今期の戦略達成に対してだ。

4ヶ月前の申告であれば、来期の戦略に自分の不在を織り込むことが出来る。
今やめるとなると、それができない。修正が必要になる。

そこの物理的な問題が関わってくる。
そこを鑑みたいと自分は思っている。

ただしどちらにしろ、
投資に対するリターンを全く回収できていないという意味で、
自分がやめるなんてのは非常に迷惑がかかる行為だ。
そんなの知っている。分かりきっている。

ただ、迷惑がかかるとか、それも重要だというのはわかるが、
それと自分の人生で達成したいことを天秤にかけたときに、
どんな反撥や罵倒があろうとも、無責任だろうとも、
人生において達成したいことを実現させる可能性を1%でも上げる、
という姿勢が重要なのではないだろうか。

自分は不動産に興味があるわけではない。
それでもそこへの営業を行っている。
もちろん社会人はそういうものであるということは分かっている。
しかしだからこそそこに反旗を翻す。




学びとかjoy [2009年11月21日(土)]

今日は週末。
週末はうきうきする。
具体的には、週半ばだと夜中2時とかに起きてると次の日が憂鬱になるが、
週末だと3時でも4時でもうきうきしながら本読める。
次の日へのプレッシャーがない。

新たなステップへ営業として上がりつつあった気がする。
それはどんなに小さなものでも大事にしたい。

ヒアリングをした上で、
相手の課題を把握し、それを解決するものとして、
商品を売るのが定石。

いきなり商品をアピールしても、どこをアピールすれば刺さるかわからないから全部アピールしようとする。
それは相手にとって”関係のない話”と判断され、
理解も共感も得られない。

ヒアリングをし、相手の課題を聞きだす。
ひとつ解決できそうな課題がでたとき、すぐ食いつくのではなく、
ためてためてしゃべりだす感じ。

浅いヒアリングで課題解決の提案をすると、
別の角度から反論される。
例えば予算がないという人に対して価格の安いものをすすめたとき、
でもうちは手間がかけられないんだよね、と反論されると難しい。

だから、そこで提案をする前に手間に対しての認識を聞いておき、
先回りするのだ。
そうすると相手も自分のしゃべったことは否定できないから、
反論にならない。

基本人は人に説得されるのが好きではないはず。
それは自分の自発的な意思決定でないという認識が働くからだ。
特に不動産の社長とかその傾向が強いだろう。

ためて最後に提案というのは、
その提案にぶれがなくなるという意味でもメリットがある。

相手に自分の提案を反論されたとき、
じゃあそんなあなたにはこっちの提案がありますよ、とかいうと、
ベストの提案という意味合いが薄れ、
とにかく何でもいいから売りたいんじゃねーか、
という猜疑心につながる。

相手の課題を掘り下げ、何が課題なのか?を明確に認識し、
それを解決する解決策をシンプルにぶち上げる。
これが大事。



あと、win-winの関係を築くことはすごく大事と気づいた。
自分にメリットがある話でも、相手にメリットがないと判断した場合、
私達はそこにうそ臭さを覚える。
ある種の不信感を覚える。
相手はそんな提案をするはずがないからだ。

だからビジネス上健全な関係はwin-winなものである。

あとは、商談のときにいかに頭をクリアーにできるか。
次に何を言おう、とかてんぱるのではなく、冷静に受け答えながら
次の一手を考える。そのためには、相手の話をよく聞く。
これが本当に大事。人の前に相対しなくてもいいときの頭の回転を
商談時にもいかに使えるか。

人生はいかにわくわくすることをするか。
その感情が非常に大事だ。


営業について [2009年11月20日(金)]

営業とはなんだろうか。

何を自分にもたらしているか。
何を学んでいるか。

人脈を築く能力。
人の心を動かし、意思決定させる能力。
人間力。
人生経験の租借。
あるものに対し魅力的なアピールをする力。
タスク管理能力。
走りながら考える能力。
モチベーション維持能力。
ヒアリング能力。

よいものを学んでいるように思える。

それは将来につながっているか。

おそらくつながっている。

将来にやりたいことは、自分で始めるということを考えると、
営業経験はあったほうがいい。
とくに、新規開拓。
自分が世に新しいサービスや商品を出すとしたら、
その経験が役立つからだ。

なぜ営業をやっているのか?
なんのために?

将来やりたいことの実現のために必要なスキルのひとつを身につけるために。
なるほど。

だが今、タスク管理能力ばかりがあまりベストでない形で鍛えられているような気がする。
もっと、商談に専念できるような営業がいいのではないか。
いや、どうせ一人で始めるなら全部やったほうがいい。顧客管理から何から。

その意味ではマイナスなことなんてなにひとつない。
だったらモチベーション高く仕事を継続できる。

そのように振り返る時間が必要である。
そしてそれをこのように文字に落とすとすごくいい。
自分の頭が整理される。

ずっと頭で考えていても混乱するだけだということが最近わかった。

自分は、走りながら考える能力が著しく低い。おそらく。
走るか考えるかになってしまっている。
今は走らざるを得ないので走りながらキャパの低いところで考えるになっている。
もっと落ち着こう。現状のキャパでてんぱるのではなく、
キャパを広げることを考えよう。
そのためには?
タスク管理への脳の負担を減らそう。
そのためには?
手帳でしっかり管理しよう。
意識の上でも。

あと資料はもう少しスリムにできる。



今日の勉強内容 [2009年11月17日(火)]

問題と課題の違い。
問題=それがあったらやばいよねってこと。
課題=問題を解決に導くための方策。「〜しないと問題は解決しない」

考える事の大事さ。
問題にたいして、「こうしたらいいんじゃないか」と前へ前へ考えるのは間違っている。
問題にたいして、「なぜそれは起こっているのか?」「どうして解決しなきゃいけないのか?」「解決すると何が起こるのか?」と逆へ逆へ考えるのが正しい。
問題の本質を究明するためには。

そうして練り上げられた問題、ないしは課題は、誰が聞いても納得する内容を包含する。

紙に落とし込むことの大事さ。
考えているだけでは忘れるから。

営業は、相手に、2段階のインパクトを与えるべき。
@現状じゃやばいね
Aやばい現状を打破するために、この商品を使わなきゃいけないね
ここを納得させる。


人生観はどう生まれるか [2009年11月02日(月)]

人の人生観は、結果論にすぎないと思います。

その理由は、誰しも今までの経験=人生を証拠として人生論を語るからです。

例えば苦労ばかりしている人が「人生はなかなかうまくいかない」あるいは借金地獄から企業して抜け出した人が「人生はあきらめなければうまくいく」と言うように。

苦労ばかりしている人が「人生に苦労なんてない」と言ってもその主張に説得力はありません。

自分の経験に対する自分の解釈なんていうものは、それほど主観的なものはありません。

それでもなぜ人は今までの経験=人生を証拠として人生論を語るのでしょうか。

それは、誰しも自分の人生を肯定しないと生きてゆけないからだと思います。
自分の生き方を否定しながら生きることほどつらいことはありません。

誰しもどこかで「これでよかったんだ」と自分の理想と現実=人生に折り合いをつけなければ、気持ちよく生きていくことができません。

人はそこで人生観という真理を得た気分になりますが、実際には真理ではなく、主観にすぎません。

でなければ、全く違う人生観の持ち主がいるという事実の理由をうまく説明できません。

つまり、人は「人生の真理を見つけた」というよりは、「そういうものとして人生を捉えるようになった」という方向に向かっていきます。

なぜ私がこんなことを考えたかというと、先日訪問したお客様がとても自分と相容れない人生観を持っていたからです。

例えば「人生なんて辛いことからいかに逃げるかだけだ」「一生懸命やるやつは馬鹿だ。いかに楽して稼ぐかだ」。

このような主張は正しいとも間違っているとも言えませんが、少なくとも私とは異なっています。

おそらくこの方はそう考えるきっかけが人生に多く存在していたのでしょう。

裏を返せば、私が「人生はばら色だ」「生きているだけでもうけものだ」と考えているということは、そのような人生を送ってきたということになります。
もしくは、そう考えざるを得ない状況が人生にあったということになります。

ただ、今後私の人生観が経験によって変容することもあるでしょう。
今の人生観と全く異なるものになる可能性もあります。

しかし私としては、決して今の人生観を曲げたくありません。

自分が誇れる人生観を持ち続けるためにも、日々頑張って生きたいと思います。


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